アラフォースポーツライターの日米プロ野球コラム

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常にプレッシャーと戦ってきた岩瀬の偉業

 球界最年長42歳の左腕、中日の岩瀬仁紀が昨日東京ドームでの巨人戦で偉業を成し遂げた。通算登板試合を950とし、阪急などでプレーした米田哲也氏の949を上回って歴代単独最多記録となった。

 1999年にプロ入り後当初は左の中継ぎを任され、2004年に落合博満氏が監督に就任すると、クローザーに転じるようになった。

 タイトルも、最優秀中継ぎ投手を1999年、2000年、2003年と3回、最多セーブ投手を2005年、2006年、2009年、2010年、2012年と5回獲得している。今シーズンは昨日で2セーブ目で通算セーブ数も404だ。現在は登板数は減ったが、今から10年ぐらい前は絶対的守護神として1点でもリードしている場面では最終回のマウンドに上がっていた。最終回の中日の守りで岩瀬がコールされれば、勝ったも同然だったわけである。

 現に2007年の日本シリーズ第5戦では、1点リードの状態で、8回までパーフェクトピッチングだった山井に代わって9回に登板し、見事3人で抑えて山井との継投による完全試合を達成し、チーム53年ぶりの日本一に輝いたのは記憶に新しいだろう。

 岩瀬自身もあの場面での登板が最もプレッシャーを感じたと言っているが、クローザーという立場上、数々のプレッシャーと戦ってきたわけである。その甲斐もあり、2008年当時の推定年俸は4億3000万であった。

 主にスライダーを武器にしていたが、現在は多彩な変化球を操るようになった。ただストレートに関しては年齢的な衰えから球速が落ちてきているようだ。

 岩瀬自身は昨年オフに引退を申し出ているが、周囲の説得もあって現役を続行したようだ。入団当初からチームメイトだった、同じ左腕の山本昌は一昨年2015年に50歳で現役を引退しているが、岩瀬は今季限りで引退してしまうのか、今後の去就も注目されるだろう。

 中日入団当時の監督だった星野仙一氏も岩瀬を祝福したそうだが、星野氏曰く岩瀬は初めから先発ではなく、セットアッパー、クローザーとして育てるつもりだったという。救援投手としての資質を早くから見抜いていたわけであった。2002年から2年間監督を務めた後任の山田久志氏の下でも、防御率1点台でシーズンを終えたことによりそれなりに信頼されていたようである。最終的にクローザーに転じるのは2004年に落合氏が就任してからだが、やはりクローザーを任せられるようになったのは、同じピッチャー出身の星野氏や山田氏ら前任監督の指導のおかげだろう。